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複製再現技術 時間と解像度

元原逸巳×武田雄太

インタビュー作品紹介









Tokyo Teleport by 武田雄太
<文:元原逸巳>






 彼の作品を分解してみると、その根底にあったのは「見る」ということへの欲求と探究心だった。
彼は昨年の夏に写真を一万枚撮影するという偉業を成しとげている。実際、シャッターカウントだけならゆうに一万回は超えているそうだ。
誰にでもまねできることではない。この一年間、彼の手にはいつもカメラがあった。

 「見る」という行為は様々だ。特に印象深いのは「同じ物を繰り返し見つつ、全部が見たい」という言葉だった。部分も全体も全部見たいという、多くの物を見る視点と、同時に同じ物を繰り返しじっくりと見る視点。それは人間の視覚を持ってしては非常にわがままな行為で、できそうでできないことである。できそうでできない、どこかで体験したことがありそうで絶対になかった彼のつくり出した映像は、人間の無意識の中の意識と、東京の空間と時間が凝縮されていることを対話の中で知ることができた。



 何より、時間をかけて丁寧に集められた素材が、作品に力強いリアリティーを与えている。彼にとってカメラとは道具や嗜好品にとどまらない、空間と時間を移動する4次元への窓なのではないだろうか。彼は日常のささいな視点や彼自身の持つ探究心から、実現できそうでできなかった「人間のわがまま」を映像作品として実現した。




Raw Material by 元原逸巳
<文:武田雄太>






 細胞とは全ての生物が持つ、微小な部屋状の下部構造のこと。生物の最も基本的な構成単位であり、細胞を持つことが生物の定義とされる。

 彼女は生物をこよなく愛し、微生物から人間まで幅広い生物愛を持っている。
そして、細胞レベルからの愛情を注いでいる。それはX・Y染色体の構造から学んだ、女性の持つ遺伝子の強さと、無限の個性の可能性を持つ生物の魅力を感じたからだ。その研究意欲の根底には、一つのものをとことん追求して見たいというミクロな視野がある。
 というより、視野がミクロなのである。悪く言えば周りが見えていないのだが、逆に考えると一点集中の視力は他を凌駕している。

 彼女の作品は、その視点でカメラを構え、人体のミクロな世界と向き合い写真を撮る。その作業の繰り返しで、膨大な量の写真をレタッチし繋ぎ合わせる。



 自分のミクロな視野を集結させて作った、言わば人体のパノラマ写真である。その大きさからも人間という生物の美しさ、巧妙な仕組み。そして、生物の凝縮された構造体が見えてくる。
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アニメーション 表現とコンセプト

杉本真帆×早瀬交宣

インタビュー作品紹介









夢日記解体 by 早瀬交宣
<文:杉本真帆>






 夢は記憶のコラージュである。と彼は話した。

 脳は寝ている間に自らが貯蓄している記憶を組み合わせ、無意識のうちに映像化し、夢として見せられているという。つまり、彼はこの脳の仕組みを逆再生させたことになる。夢をひとつひとつ分解して、記憶の引き出しに戻してやると、夢の素は日常の風景に戻っていく。
 そう、夢は別に神秘的なことではないのだ。組み合わせによってそう見えているだけなのだ。本編のシュールな非現実世界と、彼の現実的な日常への変換。この対比はとても滑稽で面白い。
その本編に『時間』という要素を取り入れる為に彼は映像化した。この夢日記そのものを文章で読むと、縦の軸と横の軸(行動とタイムライン)を別々に読む事はできない。それを実現させる為に、彼は5つのモニターを使った。別々の5つの映像が交差することによって空間の中でコラージュされ、ひとつの物語となるのだ。



 彼はコラージュを分解している。今回は、夢というコラージュをさらに分解しているんだと言う。コラージュとは、誰でも無意識に行っている事がある。その当たり前にやっている行為を意識的にさらに分解していく事で現象を客観的に捉えていくのだ。彼は、コラージュを使ってまだまだ新しい事が出来る気がするという。
 今回も今までの視覚的な要素のコラージュから、意識的な要素でのコラージュに進化している。新しい試みを続ける彼は、次は何を分解し、新たな物を創り出すのだろうか。




childhood fantasia by 杉本真帆
<文:早瀬交宣>






 幼少時代の多くを90年代のシカゴで過ごした杉本。車移動が多いアメリカでは、日本のように地域の子供が集まる遊び場というものが少ない。まして外国人の我々が子供だけで遊びに行くことはまれだ。そんな事情もあり、彼女は大学時代に、自分の幼少の記憶にポッカリ穴が空いていることに気づかされた。

 そんな幼少期を追体験したい!と強く感じたのがこの作品のきっかけだったと話す。このロトスコープアニメーションは、彼女が仕掛けた地図づくりワークショップのまさに現場で起こった偶発的事象(生身の子供たちの行動や反応)と子供たちの生の想像力をそのまま閉じ込め、幻想的な光と音の世界に紡いでいく。
 それゆえ、作者の意図に合わせて生命を吹き込んでいくアニメーションとは内容も制作方法も180°異なることが分かるだろう。生々しく、画面に入りきらずに動き回る子供たちを見れば一目瞭然だ。



 それだけではない。ハプニングを仕掛ける所から始まり、アニメーションの向こう側に見えるものまでも含め全てが "Childhood Fantasia" という作品であり、アニメーションの新しい形を提示している。早く参加してくれた子供たちに見てほしい、と杉本は言う。
それもまたこの作品の一環である。空気に触れさせ、多くの人に見てもらい、実際のワークショップに落とし込んだり、反応をフィードバックさせることで、この作品は呼吸し続けるのだ。







アニメーション 形成と再現

林佳菜×キムミンジョン

インタビュー作品紹介









Helio to Ovum by キムミンジョン
<文:林佳菜>






 日常の風景が時間軸をもったグラフィックとして構成され、そこに絶妙なタイミングで現れ消える文字。アニメーションと実写を組み合わせたエンディングの表現。

 実写はアニメーションではなく日常の風景だが、その中でも好みに合う映像を切り取り、伝えたい世界観に近づける為に手を加える。日常の何気ないものが彼女というフィルターを通して新たな映像に変換される、コラージュの感覚だ。それは既存の風景を集めることから次第にそれらを意識して作り出す行為に発展する。頭の中のイメージを具現化する為に生み出す絵をコントロールすることは実写もアニメーションも変わらない。



 また彼女の作品は映像と同じくらい音楽が重要な役割を担っている。音楽も映像も時間を持っているという点で似ており、両者の時間軸上で響き合いが見る人の想像力を掻き立て相乗効果をもたらすものだ。

 そして彼女は音楽家が音楽を奏でるように映像を奏でる。音楽から映像を想像し、映像から音楽を創造することは奥が深い。





MAZERU by 林佳菜
<文:キムミンジョン>







Einmaligkeit, 一回性から連続性へ


 この作品はインクと水が混ざり合ったときの偶然の形から一度しか見れない形や動き、色などをcollageした作品だ。彼女が発見したその瞬間はまさに彼女オリジナルのものであって、一回性を本質とし独創的なものである。
その独特な瞬間の偶然性を繋ぐことによって新たなストーリーが生まれる。



 ここで偶然に生まれた形に意味を与える大きな要素は音楽だ。 抽象的なcollageに音楽が加えられることで、見る人は抽象性から新たな具体的な形を見つけることができるかもしれない。

 これは彼女が音楽を念頭において作品に臨んだ理由でもある。 彼女が感じた一回性からのインスピレ—ションは新たな連続性を生み出し、
見る人に新たなインスピレ—ションを与える。








描博物誌 歴史と体験

関口文佳×脇田俊

インタビュー作品紹介









結びのカタチ by 脇田俊
<文:関口文佳>






「結び」
それは「生活力」から生まれる行為だった。

 彼は、小学1年から中学3年までの9年間、ボーイスカウトとして活動していた。ボーイスカウトの始まりは、創設者自身が、ハキハキと話す少年に道案内をしてもらったという経験がきっかけだった。「紳士的なたしなみ」を目標とし、野草の見分け方、人命救助、アウトドア、地域の催しやボランティア活動など、さまざまな経験を通して世界規模で活動している。これは、脇田くんにとって「生活力」をつけることに繋がった。一人暮らしを始めても、家事に関して困ったことはなかったという。むしろ、家事が趣味のようだ。私も家事は好きなので、洗濯物は晴天に外で干すのが一番だという彼の話に、うんうんと頷き、ストレス発散 には料理をすることだ、という話が出たときには、手を打って喜んでしまった。梅酒やジャムなどの保存食も自分で作る。そう、彼と私は「生活する」という点において繋がっていた。

 話を進めていくと、ある1冊の本で接点を持った。それが、松浦弥太郎さんの著書「日々の100」である。この本は、著者である松浦さんの持ち物を100点紹介し、そのモノと人との出会いを1点ずつ丁寧に随筆にしたものである。それはまさに、松浦さんの中の博物館である。脇田くんと私もそれぞれ、生活に必要な「結び」や「器と道具」へ焦点をあて、それぞれの中に博物館を開いた。



 ロープの結びは、生活と繋がりにくいと思うかもしれない。しかし、人命救助や荷物の運搬、漁業など、すぐに解けるものから、引っ張られるほどに固く結ばれるものまで、用途に合わせて何十種類もの結び方がある。知らないだけで、欠かせないことなのだ。

「結び」は生活力のある彼だからこそ選べるテーマなのか もしれない。




『茶だんす』 by 関口文佳
<文:脇田俊>






「私は人にめぐまれている」そう言う彼女の周りでは、いつも時間がゆっくりと、穏やかに流れている。
そのような印象とともに、話してみると一つ一つの言動のなかに彼女のこだわりがあることが強くかんじられる。関口文佳はそんな女性である。

 彼女は今では珍しい、ご近所さんがお互いを屋号で呼びあうような、昔ながらの文化が残る町で育ったという。歴史や伝統、人付き合いに対してのおおらかな考え方は、この点に起因するものなのかもしれない。
 谷中・根津・千駄木、いわゆる谷根千と呼ばれる独特の風情がのこる下町が大好きというのもうなずける。

 そんな彼女のこだわりは、当然身の回りに対してもおよんでいる。
「自分が持つものは時間をかけて使い込めるようなものがいい。特に木とかは好き」だという。
また電子メールが普及した現代にあっても、手紙を書くのが好きだと言う彼女は、人との温もりのあるコミュニケーションを大切にしている。
愛読書も雑誌「ku:nel」や暮らしの手帖の現編集長である松浦 弥太郎さんが書いた「日々の100」といった生活に根ざしたもので、彼女は生活する事が楽しくてしかたがないといった感じだ。

 「関口文佳」は自分を取り巻くものとの関係を、丁寧に育ててきている。その姿勢は相手が人であろうと物であろうと変わらない。



そんな彼女だから物に刻まれた歴史を楽しめるし、私達がうっかり見落としてしまいそうな日常の小さな事にも気付けるのであろう。

 彼女の作品『茶だんす』には人のあたたかさと、そこに息づく「生活」が確かに感じられる。









描アニメーション 描画工程とコンセプト

橋本太郎×廣江啓輔

インタビュー作品紹介









Let's でふぉるめ by 橋本太郎
<文:廣江啓輔>






 作品のコンセプト、彼の現在のテーマはデフォルメのレベルであり、女の子である。かわいくないといけない。だがしかし、かわいいとはなんだ?

彼の趣味が炸裂したものが、かわいいものなのか?見る側はどんな趣味を持っているのか?彼はそういったキャラクターを作る側、見る側の駆け引きにおいて、一つの指針作りを行った。

 最終的形態がギャルゲーというエンターテイメント。その基礎となる、女の子のキャラクター企画。趣味と趣向が答えの出ない問題に延々とその時、その時の答えを出し続けている世界である。そこで彼は、キャラクターと世界観の結びつきを重要と考え、双方のデフォルメの基準を考え始めた。



 ストーリー、世界観のデフォルメレベルは、キャラクターの容姿、性格のデフォルメレベルと組合わされ違和感なく昇華される。

 そういった一つの答えを出す為の尺度を作り、土台を作ろうとしている。その土台の中身は流行の匂いと彼の臭みであり、作品内部での関係性だけではなく、常に彼と他者との関係性を省み続けなければならない。

 そうした作品内外の思索の答えが今回の彼の作品であり、今の彼の答えでもある。




交差点 by 廣江啓輔
<文:橋本太郎>






 彼の作品は一言で喩(たと)えるならば「ギミック」である。

 ―ひとつのシークエンス。刹那。爆発するムービング。興味によって着眼されたモチーフの「その瞬間」をいかに面白くいじり倒すかに彼の在り方が伺える。
もとより洋画など映像観賞を趣味嗜好としてきた彼が取り組んだ表現形態もまた映像であった。その作品群の中に映像日記がある。
 同じ環境、同じ時間。ただただ無味に流れる日常の中でも、彼の目が捉える対象は日によってまるで違う。映像日記とはその日彼が感じたひとつのテーマをもとに集積した静止画・動画を編集したものであり、彼の手にかかれば、変わらぬ日々さえも「ギミック」として動き出すのだ。



 そんな彼が卒業作品として選んだメディアはやはり映像作品であったが、今までデジタル撮影機器を使用した作品群と大きく違うのは手描きアニメーションであるところだ。
 在学後半期から「作画」に興味を抱き、写生を通すことで対象となるものの構造をより深く理解しようとし続ける異常なまでの彼の貪欲性は今なお底知らずだ。
またアニメーション制作に意欲を向けるきっかけとなった自主企画の共同アニメ制作の現場においては、絵コンテ・レイアウトをメインでやりこなしたことで、ひとつのシーンのビジュアル構成の研究に徹底されたこだわりを抱くこととなる。

 これらの要因が重なり織りこまれた今、彼の「ギミック」は更なる進化が始まる―。






描くこと スピードと細密描写

重樫洋平×猿渡真彩

インタビュー作品紹介









「エゴイデア!」by 八重樫洋平
<文:猿渡真彩>






「描くことは呼吸することと同じ。」
これが彼の作品と彼を象徴する言葉だと思う。

 クロッキー帳を常に持ち歩き、時間が出来るとポーズや表情のスケッチを何枚も何枚も絶え間なく描き続ける。この何十枚、何百枚と描き続けたスケッチは積層していくという点で今回の卒業制作につながっている。

アニメーションを作るには何百、何千という絵が必要だ。地層のように積み重なった絵がキャラクターの豊かな表情と動きを生む。

 彼のスケッチのスピードを見ていると迷いは全くないように感じるが、実際のアニメーション制作は何度も納得がいくまでしつこく描き直す。
顔のアップの場面であっても、体の動きが不自然ではないか実際にポーズをとることはもちろん、画面に入らない部分まで描いて確かめる。
飴をなめる少女の口元や髪の揺らぎに凝って何時間も費やすこともあったそうだ。一見、簡略化された絵の中にも細部までこだわりがあり、違和感や破綻のない世界を作っている。それが見る側を自然にアニメーションの世界に引き込むのであろう。



 制作中、試行錯誤や悩みはするが「苦しい」と感じることはなかったという彼の作品からは、彼自身が絵を描くことを楽しんでいる姿勢が伝わってくる。
現実と妄想の世界で繰り広げられるキャラクターの生き生きとした動きや表情をたっぷり味わって欲しい。




gloom by 猿渡真彩
<文:八重樫洋平>






精密に書き込まれた線から浮かび上がるマイナスの感情。ポジティブなイメージではなく、どこか陰のある幻想的な世界。普段からの「絵を描く」行為の延長で特別なものではない。積み重ね、染み込んだものをダイレクトにアウトプットした結果がこの作品である。

 まず注目すべきはその集中力とスイッチの切り替えである。まず一度制作に入るとスイッチが入り、頭の中は常に作品のことでいっぱいになってしまう。そうすると自分の世界に閉じこもり、他のことがまったく見えなくなりひたすら没頭する。ただ、これはまだ完成ビジョンがわからない構想段階の状態で、その後、またスイッチが切り替わり、書き込み段階では計画を立てて今日はここまで、明日はここまで、と割り切って制作をするようになる。
 実は、このスイッチ切り替えはデッサンの場合でも見て取れる。彼女のデッサンはまた特徴的で、まずきっちりとモチーフのアウトラインを取ることから始まる。形に狂いが無いか何度も何度も丁寧に確認して、そこから徐々に濃淡をつけていく手法だ。アウトラインが決まる、なんとなく完成ビジョンが見えるまで、が大切でそこから先は、視覚による画面へのアナログコピー作業になっているのだ。



  大きな画面の中にバランスよく配置されたモチーフ、非現実的でありながら生々しいリアルさ。構想段階から下書き、本番まで、スイッチの切り替えにより作業スピードや緻密な描写密度がコントロールされており、そのうえで根源的なテーマであるロマンスとは何かを軸に展開された作品になっている。


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