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御来廊、本当にありがとうございました。
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3日のお昼に、佐藤卓さんが来てくれました。






オープニングのプレゼンテーションに参加した、真鍋真先生から嬉しいメールが届きました。


陣内先生

この度はとても素敵な作品展になり、おめでとうございます。昨晩はとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。プレゼンをお聞きすることが出来た皆さんの作品について、コメントをTwitterで出させて頂きました。Twitterを読んで、会期中に来てくれる人がいたらうれしいな、、、と思っています。学生さんたちに真鍋のTwitterをチェックしてもらえたら幸いです。URLは次の通りです。
http://twitter.com/Makotosaurus

真鍋 真

以下、紹介された内容です。

武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科・陣内利博研究室の卒業制作展
「複眼思考2010」のオープニング+プレゼンテーションに行って来ました
(http://hukuganshikou.tou3.com/)。HPに同級生が二人一組で、相手
の作品への感想や解説を書いています。3月6日まで!

「複眼思考2010」:陣内先生が古本屋めぐり をして、
それぞれのゼミ生に読んでほしい本を買って来ていた。内容を紹介
したり、ちょっと朗読をして、なぜ読んでほしいかを解説して、手
渡していった。 「博物誌」、「ロウソクの科学」、「私は二
歳」、「美の構成学」、「胎児の世界」、「顔学への招待」

絵を描いている学生、写真を撮っている学生、アニメをつ
くっている学生、映像をつくっている学生、ジャンルが違うとお互いを
言葉では理解出来ないかもしれない。その人の生い立ちとか、なぜ
その作品をつくったのかを聞きながら、言葉で「判ったつもり」に
済ませてしまわないことの大切さを確かめよう。

複眼思考2010 に展示されている関口文佳さんの作品は、実家
の茶箪笥の50年の記憶を冊子にしたものです。民族資料館的
な面白さがあります。次は、彼女の茶箪笥の空間での家族と
の思い出をどのように保存し、共有できるか?

複眼思考2010:一人の女性の顔のパーツごとにマクロレンズ
で接写して、それを大きく引き伸し、パーツをもとの顔を再構築し
て、さらにそれをフリップブックのように見る元原逸巳さん
の作品。肌のキメの細かさを接写したり、パーツごとに分析すると
ころに、女性の視点が表れている。

複眼思考2010:同じ女性の顔写真が左右に並んでいるが、
左側が実際の表情で、右側が内心の気持ちの表情。女友達と、
家族と、恋人と話している時の三部作。「作者」石川祐実さんが内
心の状態を表情に 出した場合を「想定」。その違いには実際
には大きなギャップがあるのかを実験してみたい。

複眼思考2010:美少女キャラをうまく描きた かった橋本太郎さんは、
顔学の平均顔からアニメキャラまでディフォルメさせるゲームを創った。
デフォルメにはシリアスかコミカルかという対立軸があり、
ゲームの展開によって顔が変わるらしい。どんなデフォルメの結果が
橋本君の一番好きな顔になったの?

複眼思考2010:日本では唐草模様、西洋ではアラベスク模様、
植物模様は世界中に浸透している。宮村綾さんは置換充填
によって模様を生成するソフトを開発して、とてつもない模様の多
様性の可能性を示した。人々が模様から受ける印象の違いを
調べたり、曼荼羅などとの関連性も知りたくなった。

複眼思考2010:「生物」と骨となった「静物」が混在するモノクロ
イラストを描いている猿渡真彩さんは、骨というモチーフに、死んで
からやっと自然の一部になるというようなものを感じるという。人は
骨を見たとき、どの程度「生」を再生しようとするのか、知りたくなった。

複眼思考2010:ボーイスカウトで身につけた いろいろ
なロープの結び方を、ポップアップする冊子で三次元的に解説する
本を作った脇田俊さん。次は、ロープ結びをインテリアとか日常の
中で活用する提案 が出来ると良いね。そしてロープ結びのや
り方を教えたりする、他の人との接点が生まれると良いね。

複眼思考2010:横浜市の小学生34人と学校からみんなの家までの
地図を一緒に作った杉本真帆さん。みんなのまちのいまと近未来を
視覚化した時に何が見えてきた?ロトスコープのアニメーションによって、
子どもたちやまちがちょっと客観的に見えたりすることが、
外の人たちにアピールしている?

複眼思考2010:自分の交通事故の瞬間を、車に撥ねられる歩行者(自分)
が見た世界と、撥ねた運転者が見たであろう世界を対比するアニメーション
を創った廣江啓輔さん。情報が多い方がストップモー ションの時間が長い
という作業仮説は検証出来ましたか?
歩行者vs運転者、同じ立場でも年齢で違う?

複眼思考2010:東京の車窓から見える風景を朝から晩まで撮り続けた
武田雄太さん。モノレールやゆりかもめだと、車両のまわりにフェンス
のようなものが無いので、紙飛行機か鳥から見ているような浮遊感の
ある映像になりますね。気がつかなかったのですが、よく見ると季節の
変化なども凝縮されてる?

複眼思考2010:電車の中でのアクションアニメを創りたくて、
メリハリをテーマに、人の声や効果音まで自分でつくった八重樫洋平さん。
車内マナーが悪い人にいつまでガマンするのか、誰が注意するのか、
見ている方が勝手に緊張感を共有出来る映像だと思いました。

複眼思考2010:水の中にいろいろな絵の具が広がって行く様子を、
音楽とともにライブペインティングのような映像を創った林佳菜さん。
色の変化や、選曲の変化によって、見る人の感じ方が違うのか、
調べてみたくなりました。






看板
18:00からのオープニング 視デ研から及部先生。松井先生、木本先生。
視デ2年生の山村さん、佐中さん、研究生ベンヤミン。
東大教育学部博士課程の山本先輩。
プロダクトデザイナーの山本さん。(多摩美プロダクトの先生)
国立科学博物館の真鍋先生。女子美の為ヶ谷先生。大阪大学の金谷先生。
あとから遅れて来たのが、原島先生軍団。橋本先生、常盤先生、大谷さん、鳥海さん。
NHKエンタープライズの川上さん。
チラット覗いた目黒美術館の降旗さん。
ざっと20人、出品者をあわせて40人は超えていました。





携帯からの更新のサンプルも兼ねて…

明日から展示開始です。

ご来場お待ちしています。






複製再現技術 時間と解像度

元原逸巳×武田雄太

インタビュー作品紹介









Tokyo Teleport by 武田雄太
<文:元原逸巳>






 彼の作品を分解してみると、その根底にあったのは「見る」ということへの欲求と探究心だった。
彼は昨年の夏に写真を一万枚撮影するという偉業を成しとげている。実際、シャッターカウントだけならゆうに一万回は超えているそうだ。
誰にでもまねできることではない。この一年間、彼の手にはいつもカメラがあった。

 「見る」という行為は様々だ。特に印象深いのは「同じ物を繰り返し見つつ、全部が見たい」という言葉だった。部分も全体も全部見たいという、多くの物を見る視点と、同時に同じ物を繰り返しじっくりと見る視点。それは人間の視覚を持ってしては非常にわがままな行為で、できそうでできないことである。できそうでできない、どこかで体験したことがありそうで絶対になかった彼のつくり出した映像は、人間の無意識の中の意識と、東京の空間と時間が凝縮されていることを対話の中で知ることができた。



 何より、時間をかけて丁寧に集められた素材が、作品に力強いリアリティーを与えている。彼にとってカメラとは道具や嗜好品にとどまらない、空間と時間を移動する4次元への窓なのではないだろうか。彼は日常のささいな視点や彼自身の持つ探究心から、実現できそうでできなかった「人間のわがまま」を映像作品として実現した。




Raw Material by 元原逸巳
<文:武田雄太>






 細胞とは全ての生物が持つ、微小な部屋状の下部構造のこと。生物の最も基本的な構成単位であり、細胞を持つことが生物の定義とされる。

 彼女は生物をこよなく愛し、微生物から人間まで幅広い生物愛を持っている。
そして、細胞レベルからの愛情を注いでいる。それはX・Y染色体の構造から学んだ、女性の持つ遺伝子の強さと、無限の個性の可能性を持つ生物の魅力を感じたからだ。その研究意欲の根底には、一つのものをとことん追求して見たいというミクロな視野がある。
 というより、視野がミクロなのである。悪く言えば周りが見えていないのだが、逆に考えると一点集中の視力は他を凌駕している。

 彼女の作品は、その視点でカメラを構え、人体のミクロな世界と向き合い写真を撮る。その作業の繰り返しで、膨大な量の写真をレタッチし繋ぎ合わせる。



 自分のミクロな視野を集結させて作った、言わば人体のパノラマ写真である。その大きさからも人間という生物の美しさ、巧妙な仕組み。そして、生物の凝縮された構造体が見えてくる。






アニメーション 表現とコンセプト

杉本真帆×早瀬交宣

インタビュー作品紹介









夢日記解体 by 早瀬交宣
<文:杉本真帆>






 夢は記憶のコラージュである。と彼は話した。

 脳は寝ている間に自らが貯蓄している記憶を組み合わせ、無意識のうちに映像化し、夢として見せられているという。つまり、彼はこの脳の仕組みを逆再生させたことになる。夢をひとつひとつ分解して、記憶の引き出しに戻してやると、夢の素は日常の風景に戻っていく。
 そう、夢は別に神秘的なことではないのだ。組み合わせによってそう見えているだけなのだ。本編のシュールな非現実世界と、彼の現実的な日常への変換。この対比はとても滑稽で面白い。
その本編に『時間』という要素を取り入れる為に彼は映像化した。この夢日記そのものを文章で読むと、縦の軸と横の軸(行動とタイムライン)を別々に読む事はできない。それを実現させる為に、彼は5つのモニターを使った。別々の5つの映像が交差することによって空間の中でコラージュされ、ひとつの物語となるのだ。



 彼はコラージュを分解している。今回は、夢というコラージュをさらに分解しているんだと言う。コラージュとは、誰でも無意識に行っている事がある。その当たり前にやっている行為を意識的にさらに分解していく事で現象を客観的に捉えていくのだ。彼は、コラージュを使ってまだまだ新しい事が出来る気がするという。
 今回も今までの視覚的な要素のコラージュから、意識的な要素でのコラージュに進化している。新しい試みを続ける彼は、次は何を分解し、新たな物を創り出すのだろうか。




childhood fantasia by 杉本真帆
<文:早瀬交宣>






 幼少時代の多くを90年代のシカゴで過ごした杉本。車移動が多いアメリカでは、日本のように地域の子供が集まる遊び場というものが少ない。まして外国人の我々が子供だけで遊びに行くことはまれだ。そんな事情もあり、彼女は大学時代に、自分の幼少の記憶にポッカリ穴が空いていることに気づかされた。

 そんな幼少期を追体験したい!と強く感じたのがこの作品のきっかけだったと話す。このロトスコープアニメーションは、彼女が仕掛けた地図づくりワークショップのまさに現場で起こった偶発的事象(生身の子供たちの行動や反応)と子供たちの生の想像力をそのまま閉じ込め、幻想的な光と音の世界に紡いでいく。
 それゆえ、作者の意図に合わせて生命を吹き込んでいくアニメーションとは内容も制作方法も180°異なることが分かるだろう。生々しく、画面に入りきらずに動き回る子供たちを見れば一目瞭然だ。



 それだけではない。ハプニングを仕掛ける所から始まり、アニメーションの向こう側に見えるものまでも含め全てが "Childhood Fantasia" という作品であり、アニメーションの新しい形を提示している。早く参加してくれた子供たちに見てほしい、と杉本は言う。
それもまたこの作品の一環である。空気に触れさせ、多くの人に見てもらい、実際のワークショップに落とし込んだり、反応をフィードバックさせることで、この作品は呼吸し続けるのだ。







アニメーション 形成と再現

林佳菜×キムミンジョン

インタビュー作品紹介









Helio to Ovum by キムミンジョン
<文:林佳菜>






 日常の風景が時間軸をもったグラフィックとして構成され、そこに絶妙なタイミングで現れ消える文字。アニメーションと実写を組み合わせたエンディングの表現。

 実写はアニメーションではなく日常の風景だが、その中でも好みに合う映像を切り取り、伝えたい世界観に近づける為に手を加える。日常の何気ないものが彼女というフィルターを通して新たな映像に変換される、コラージュの感覚だ。それは既存の風景を集めることから次第にそれらを意識して作り出す行為に発展する。頭の中のイメージを具現化する為に生み出す絵をコントロールすることは実写もアニメーションも変わらない。



 また彼女の作品は映像と同じくらい音楽が重要な役割を担っている。音楽も映像も時間を持っているという点で似ており、両者の時間軸上で響き合いが見る人の想像力を掻き立て相乗効果をもたらすものだ。

 そして彼女は音楽家が音楽を奏でるように映像を奏でる。音楽から映像を想像し、映像から音楽を創造することは奥が深い。





MAZERU by 林佳菜
<文:キムミンジョン>







Einmaligkeit, 一回性から連続性へ


 この作品はインクと水が混ざり合ったときの偶然の形から一度しか見れない形や動き、色などをcollageした作品だ。彼女が発見したその瞬間はまさに彼女オリジナルのものであって、一回性を本質とし独創的なものである。
その独特な瞬間の偶然性を繋ぐことによって新たなストーリーが生まれる。



 ここで偶然に生まれた形に意味を与える大きな要素は音楽だ。 抽象的なcollageに音楽が加えられることで、見る人は抽象性から新たな具体的な形を見つけることができるかもしれない。

 これは彼女が音楽を念頭において作品に臨んだ理由でもある。 彼女が感じた一回性からのインスピレ—ションは新たな連続性を生み出し、
見る人に新たなインスピレ—ションを与える。








描博物誌 歴史と体験

関口文佳×脇田俊

インタビュー作品紹介









結びのカタチ by 脇田俊
<文:関口文佳>






「結び」
それは「生活力」から生まれる行為だった。

 彼は、小学1年から中学3年までの9年間、ボーイスカウトとして活動していた。ボーイスカウトの始まりは、創設者自身が、ハキハキと話す少年に道案内をしてもらったという経験がきっかけだった。「紳士的なたしなみ」を目標とし、野草の見分け方、人命救助、アウトドア、地域の催しやボランティア活動など、さまざまな経験を通して世界規模で活動している。これは、脇田くんにとって「生活力」をつけることに繋がった。一人暮らしを始めても、家事に関して困ったことはなかったという。むしろ、家事が趣味のようだ。私も家事は好きなので、洗濯物は晴天に外で干すのが一番だという彼の話に、うんうんと頷き、ストレス発散 には料理をすることだ、という話が出たときには、手を打って喜んでしまった。梅酒やジャムなどの保存食も自分で作る。そう、彼と私は「生活する」という点において繋がっていた。

 話を進めていくと、ある1冊の本で接点を持った。それが、松浦弥太郎さんの著書「日々の100」である。この本は、著者である松浦さんの持ち物を100点紹介し、そのモノと人との出会いを1点ずつ丁寧に随筆にしたものである。それはまさに、松浦さんの中の博物館である。脇田くんと私もそれぞれ、生活に必要な「結び」や「器と道具」へ焦点をあて、それぞれの中に博物館を開いた。



 ロープの結びは、生活と繋がりにくいと思うかもしれない。しかし、人命救助や荷物の運搬、漁業など、すぐに解けるものから、引っ張られるほどに固く結ばれるものまで、用途に合わせて何十種類もの結び方がある。知らないだけで、欠かせないことなのだ。

「結び」は生活力のある彼だからこそ選べるテーマなのか もしれない。




『茶だんす』 by 関口文佳
<文:脇田俊>






「私は人にめぐまれている」そう言う彼女の周りでは、いつも時間がゆっくりと、穏やかに流れている。
そのような印象とともに、話してみると一つ一つの言動のなかに彼女のこだわりがあることが強くかんじられる。関口文佳はそんな女性である。

 彼女は今では珍しい、ご近所さんがお互いを屋号で呼びあうような、昔ながらの文化が残る町で育ったという。歴史や伝統、人付き合いに対してのおおらかな考え方は、この点に起因するものなのかもしれない。
 谷中・根津・千駄木、いわゆる谷根千と呼ばれる独特の風情がのこる下町が大好きというのもうなずける。

 そんな彼女のこだわりは、当然身の回りに対してもおよんでいる。
「自分が持つものは時間をかけて使い込めるようなものがいい。特に木とかは好き」だという。
また電子メールが普及した現代にあっても、手紙を書くのが好きだと言う彼女は、人との温もりのあるコミュニケーションを大切にしている。
愛読書も雑誌「ku:nel」や暮らしの手帖の現編集長である松浦 弥太郎さんが書いた「日々の100」といった生活に根ざしたもので、彼女は生活する事が楽しくてしかたがないといった感じだ。

 「関口文佳」は自分を取り巻くものとの関係を、丁寧に育ててきている。その姿勢は相手が人であろうと物であろうと変わらない。



そんな彼女だから物に刻まれた歴史を楽しめるし、私達がうっかり見落としてしまいそうな日常の小さな事にも気付けるのであろう。

 彼女の作品『茶だんす』には人のあたたかさと、そこに息づく「生活」が確かに感じられる。









描アニメーション 描画工程とコンセプト

橋本太郎×廣江啓輔

インタビュー作品紹介









Let's でふぉるめ by 橋本太郎
<文:廣江啓輔>






 作品のコンセプト、彼の現在のテーマはデフォルメのレベルであり、女の子である。かわいくないといけない。だがしかし、かわいいとはなんだ?

彼の趣味が炸裂したものが、かわいいものなのか?見る側はどんな趣味を持っているのか?彼はそういったキャラクターを作る側、見る側の駆け引きにおいて、一つの指針作りを行った。

 最終的形態がギャルゲーというエンターテイメント。その基礎となる、女の子のキャラクター企画。趣味と趣向が答えの出ない問題に延々とその時、その時の答えを出し続けている世界である。そこで彼は、キャラクターと世界観の結びつきを重要と考え、双方のデフォルメの基準を考え始めた。



 ストーリー、世界観のデフォルメレベルは、キャラクターの容姿、性格のデフォルメレベルと組合わされ違和感なく昇華される。

 そういった一つの答えを出す為の尺度を作り、土台を作ろうとしている。その土台の中身は流行の匂いと彼の臭みであり、作品内部での関係性だけではなく、常に彼と他者との関係性を省み続けなければならない。

 そうした作品内外の思索の答えが今回の彼の作品であり、今の彼の答えでもある。




交差点 by 廣江啓輔
<文:橋本太郎>






 彼の作品は一言で喩(たと)えるならば「ギミック」である。

 ―ひとつのシークエンス。刹那。爆発するムービング。興味によって着眼されたモチーフの「その瞬間」をいかに面白くいじり倒すかに彼の在り方が伺える。
もとより洋画など映像観賞を趣味嗜好としてきた彼が取り組んだ表現形態もまた映像であった。その作品群の中に映像日記がある。
 同じ環境、同じ時間。ただただ無味に流れる日常の中でも、彼の目が捉える対象は日によってまるで違う。映像日記とはその日彼が感じたひとつのテーマをもとに集積した静止画・動画を編集したものであり、彼の手にかかれば、変わらぬ日々さえも「ギミック」として動き出すのだ。



 そんな彼が卒業作品として選んだメディアはやはり映像作品であったが、今までデジタル撮影機器を使用した作品群と大きく違うのは手描きアニメーションであるところだ。
 在学後半期から「作画」に興味を抱き、写生を通すことで対象となるものの構造をより深く理解しようとし続ける異常なまでの彼の貪欲性は今なお底知らずだ。
またアニメーション制作に意欲を向けるきっかけとなった自主企画の共同アニメ制作の現場においては、絵コンテ・レイアウトをメインでやりこなしたことで、ひとつのシーンのビジュアル構成の研究に徹底されたこだわりを抱くこととなる。

 これらの要因が重なり織りこまれた今、彼の「ギミック」は更なる進化が始まる―。


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